勉強は何故しなくてはいけないのかを教える時

2016/02/28
34年間の私の塾講師人生で、小中学生の学習指導において言い続けてきたことは「勉強は何故しなくてはならないのか?」です。
学校でその答えを聞かされている子どもが年々減ってきたように思います。
ですから、尚更私は毎年言い続けてきました。
なぜ勉強をするのか・・・
『若いときに勉強をするということは、自由を維持できるということです。若いときに覚えたことは、成人してからも忘れることが少なく、その知識を知恵に変えて自由をより楽しむことも出来ます。でも、自由を維持するためにはその反対の義務も全うしないと自由は維持できません。自由と義務についてしっかりと理解しより楽しい人生を送れる頭を作るために勉強はするのです。』といった内容を年齢に合わせて、生徒の学ぶ集中が途切れた時などに話してきました。
こういった内容を今書いていて、我がスクールの講師陣はレッスンの中で時としてレッスンを止めてでも話をしてくれているのであろうかとふと思いました。
人は自分がしてもらって良かった事は、他者にもしようと思います。
しかし、未経験である者はしないままに過ぎ去ってしまいます。
授業を止めてでも、教えるべきときは必ず年に数回はあるはずです。
かつての教え子達から、「先生のうんちくは、その場では半分ぐらいしか理解できなかったけど、年を重ねるごとに思い出すことが多く、これまで成長の糧にしてこれました。」と、よく言ってもらいます。
しかし、実は私のうんちくは小学校時代の恩師の受け売りでもあります。
恩師には小学3年生から6年生まで教わりました。
教えるという職業におけるプロとして今でも尊敬しています。
恩師は、一人ひとりの過去のデータをとても大切にし、全員の伸びを最後まで叱咤激励と共に見守り続けて下さいました。
戦後70年を過ぎ、やっと大きく変わって行くと思える新教育制度。
それは、34年前から私が理想として掲げてきた「自分が何が好きで、何になったら良いのかが分かる教育」にとても近くなってきました。
知識を教えることの前に『それを学ぶとどんなに素敵で、どんな幸せが待っているのかを伝えられる先生でいたい!』と思い続けてきました。
ですから塾講師自体、学ぶことにおける素敵な存在であることも大切な要素であると捉えています。
2016年度の我が講師陣には、夢への扉である勉強をする意味を語ることができる講師に成長できるよう今度は私が叱咤激励していきたいと思います。